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政治記者Xの備忘録

官邸、自民党、財務省などの記者クラブを経験。マスコミで書けないネタを書いていきます。

アスリートは日本の特権階級ではない:社会の変化を感じられない、政治家、公務員、そしてマスコミ。

たまたまTBSの「ひるおび」を見ていたら、元JOCの春日良一という人物が出演し、東京五輪にむけて、いかに新たなスポーツ施設が必要か力説していました。

 

「スポーツが(都政の優先順位の)第一になれば、世界から戦争がなくなる」

 

こんな趣旨のことまで、口にしていました。ポジショントークなのでしょうが、さすがに飛躍しすぎていると思うのは、私だけではないはず。古くはヒトラーベルリンオリンピック、近年ではロサンジェルス、モスクワ、北京を見れば、五輪が国威発揚の手段であることは、明白です。「スポーツ重視すれば、戦争がなくなる」などとは、とても思えない。

 

五輪の新施設建設を肯定化する意見として、「スポーツが盛んになれば、国民が健康になって、結果的に社会保障費が下がる」あるいは「レガシーを残す」というものがあります。

 

確かにスポーツが盛んになって、健康になれば、医療費は下がるでしょう。ですが、オリンピックがその手段として、本当に最適なのか。五輪費用は3兆円に達すると言われています。その費用で、トップアスリートが利用する大規模施設を数カ所作るよりも、誰でも身近に使える、300億円の運動公園を都内に100ヶ所作る方が、効果があるのではないか。

 

「レガシー」についても、多くの人はとても賛同しかねるのではないでしょうか。有力政治家の地元には、必ずと言っていいほど、殆ど利用されていない豪華なハコモノや高速道路があります。これらを「レガシー」というのか。しかも、作ってしまえば、建設費だけではなく、維持費が半永久的にかかってくる。ボートやカヌーの施設を新設しても、ボート部のある中学や高校が、どれだけ存在するのか。あるいは、高齢者が健康維持のためにできる種目なのか。

 

少子高齢化によって、政府や自治体の収入は確実に減り、支出は確実に増大する。厳しい財政状況の中で、3兆円をスポーツ界のエリートのために投じることが適切なのか。その予算を待機児童や介護施設、医療機関の新設に使った方が、遥かに恩恵が広がるのではないか。

 

少なくとも、今の縮小していく日本社会において、予算の使い道として「アスリート・ファースト」とは、絶対に思えない。

 

政治家というのは、自己顕示欲が極めて強い人達です。国会内の肖像画銅像議員会館にも自分の写真と、自分の存在を残したがる。何か巨大施設を作るというのは、まさに政治家の自己顕示欲を満たす行為なわけです。「このホールは、俺がつくった」という悦に入ることができる。

 

それは、政治家の思いというだけではなく、成長期においては国民のニーズにも合致していた。ところが、日々の生活で経済縮小を実感している国民とズレてきた。実際、近年では小泉純一郎小池百合子、仕分け時の蓮舫など、予算を「つかう」ことではなく、「削る」政治家が支持を集めます。どうも、政治家の側にその変化を感じる感覚が薄いように思えるのです。

 

これは政治家に限らず、マスコミも同じ。特にテレビ局は、変化を感じていないと思うわけです。これは規制に守られ、リストラとも無縁、平均年収1500万円超の世界に、大卒後ずっと浸っていれば、当然の帰結でしょう。そして都庁職員もマスコミ同様、変化を感じられない、守られた世界にいる。

 

この五輪騒動を見るにつけ、政治家、公務員とマスコミの社会の変化を感じられない現実を思ってしまうわけです。